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【理解してから、理解される】最善の結果をもたらすコミュニケーションの原則

株式会社マクアケデザイン代表取締役の宮川直己です。

 
私は福岡市職員だった頃、児童相談所で虐待相談担当のケースワーカーをしていた時期があります。虐待と確認されたご家庭の親御さんに対して、「それは虐待ですよ」と伝え、虐待(環境)が解消されるようサポートしていく役割です。

 
ですがもちろん、世の中に虐待しようと思ってする親御さんはいませんので、歓迎されない存在です。そのような関係の始まりからどのようにコミュニケーションを図っていくのか、悪戦苦闘する毎日でした。

 
当時の私が考えていたのは、
「どうすればこちらの言うことを聞いてもらえるだろう」
「どうすれば心を閉ざされたり怒られたりせず、関係を維持できるだろう」
ということ。

 
つまり、「どうしたらこちらの期待どおりに相手をコントロールできるか」を考えていたのです。

 
ですがなかなか思うような支援に繋がらず悩んでいたある日、尊敬していた先輩ケースワーカーからひとこと、こんなアドバイスをもらいました。

 

「お母さん(お父さん)に自分の生い立ちを語ってもらえたら勝ちですよ」

 
もちろんこの「勝ち」とは勝ち負けではありません。その家庭への支援がうまくいくということです。そのアドバイスをもらってから、私は「どうすればお母さん(お父さん)に自分の生い立ちを語ってもらえる関係になれるだろう?」と考えるようになりました。

 
すると自然に親御さんの立場でものを考えるようになります。

 
親御さんから見た児童相談所(私)
親御さんから見た子ども
親御さんから見た学校
親御さんから見た社会
親御さんから見た親御さん自身の人生

 
それらはどんなふうに見えているのだろう?

 
そんなことを考えながら沢山の親御さんと関わっていると、
「私ももっといいお母さん(お父さん)になりたかった。幸せな家庭を作りたかった」
「だけど、そんな生き方を知らないし、できないのが悲しい」
そんな思いを親御さんの言動の端々から感じ取るようになりました。

 
直接的な言葉でそう言われたわけではありませんので、私の思い違いかもしれません。あるいは今思えば、私自身の思いの投影だったのかもしれないとも思います。

 
ですがそれ以降、親御さんとの関係は驚くほど変わっていきました。

 
学校や関係機関などとトラブルを起こしてばかりの難しい親御さんでも「宮川さんなら」と話をしてくれて、こちらの提案を受け入れてくれることも珍しくありませんでした。むしろ私の方が、そういった親御さん達に対して心を開いていたようにも思います。

 

理解してから、理解される

自己啓発書のベストセラー「7つの習慣」の中に

理解してから、理解される

という習慣があります。

 
私たちは人間関係に不満を抱えるとき、相手に対して
「自分の気持ちをわかってほしい」
「なぜ、わかってくれないのか」
という思いを抱くものです。

 
ですが、人の心理には「返報性の法則」が働きます。(もらったものを返したくなる心理)

 
「わかってほしい」という思いを相手に向ければ相手からも同じものが返ってくる。つまり、お互いに「わかってほしい」をつきつけあうことになりコミュニケーションは平行線をたどってしまうのです。

 
この状況を打開するためにはまず先に、「あなたの気持ちをわかりたい」を相手に向ける必要があります。「あなたの気持ちをわかりたい」を先に向けて、相手の話に耳を傾けていると「あなたの気持ちをわかりたい」が返ってくる。ここではじめて、お互いに「わかりあう」人間関係が築かれていきます。

 
これが「理解してから、理解される」という言葉の意味です。

 
ただし注意が必要なのは、これは「自分の気持ちを我慢して相手を優先することではない」ということ。相手の気持ちを理解したあとに、自分の気持ちを言葉で伝える。その上でもしもお互いに相容れない部分があったら、両者の思いを叶える別の方法がないかを一緒に考える。

 
気持ちを聞く「順番」を変えながら、自分の気持ちも相手の気持ちもひとしく大切なものとして扱うことが重要なのです。

 
お互いにわかりあおうとする努力を放棄して一方的にこちらの主張を通そうとしたり、逆に不満を抱えたまま我慢し続けていると、早晩、どこかに不具合や爆発が生じます。その不具合や爆発が関係を再構築するきっかけになることもありますが、その場合も「わかりあう」コミュニケーションがなければ同じことのくり返しになるものです。

 
LGBTQにまつわる議論には、人それぞれに多様な感情や意見があります。そしてもちろん、ハラスメントや差別行為は速やかな解決が図られるべきものです。

 
ですが「理解を求めたい」「訴えたい」という時ほど、この「理解してから、理解される」コミュニケーションの原則を忘れず丁寧に議論を深めていくことが、最終的にはすべての関係者にとっての最善に向かわせてくれるものと私は考えています。